トップページ日記2009-09-11 > 2曲目の女

2曲目の女

べつに名前を出しても怒られないだろうけど、昨日某踊り子さんのステージを見ていてつくづく思ったことがある。昨今のストリップはだいたいひとり20分弱の持ち時間で、4曲構成というパターンが多いのだが、その内訳は――

①着衣のダンス
②段々脱いでいく
③さらに脱いでおっぱいを見せたり、エロい衣装(キャミとか)に着替えたりする
④全裸になってベッドショー(オナニーするか、ポーズをきる)
(本当はこのあとに⑤ポラロイドショー ⑥オープンショーが続くのだが、ひとまず④までで一区切りされている)

こう見ていくと、ストリップの構造とポルノ小説の構造はなんとよく似ていることだろう。
自分でポルノを書く場合、基本的には②と③で勝負しようとするし、①②③という流れに緊張感がないと肝心の④が盛りあがらないぞと肝に銘じている。逆に言えば、②と③が下手な作家はコキおろすことにしているわけだが……。

たぶん昔の(創生期の)ストリップというものは、①と④、「着衣/裸」というところにだけサスペンスがかかっていて、客は「脱ぐか/脱がないか」というただ一点に、ハラハラ、ドキドキしてたはず。

もちろん、その本質というものはいまでも変わらないわけだけど、見せ方が洗練に向かっている現在のストリップ事情では、2曲目を間延びさせずに鮮やかに踊れる踊り子は、だいたい全体の印象もいい。上にあげた某踊り子も、惚れ惚れするような2曲目を踊る。2曲目の女と命名したいくらいで、僕の中では、2曲目が日本一素晴らしいダンサーは日本一のダンサーだ。

ただ、2曲目というのは本質的にはなくたっていいところで、タイムテーブルが押してくるとカットされたりするし、筋の悪い客がいれば「さっさと脱げーっ!」と言われかねないパートである。そこに、踊り子の個性がくっきり浮かびあがってしまうというのは、もしかして構造上の欠陥なのか、それとも倒錯なのか……。

つまり、表現にとって洗練はあんまりいいことでないような気もするわけであり、「脱ぐか/脱がないか」というシンプルにして身も蓋もない事態が問われているステージだけが実は、シナリオや演出とは無関係に熱狂を生み出したりもするわけである。小向美奈子とか。表現もへったくれもない野蛮に惹きつけられてしまう。

というような、いくら考えても答えが出そうにないことを昨日からずーっと考えているおかげで、原稿がまったく進まない。

カテゴリー: [日記] - 04:02:52

ページ管理者:草凪 優
イラスト:小玉 英章